Medical computer Network(平成15年8月)
◆指標◆
4,みのりの多い在宅ターミナルケアを
足柄上医師会 奥津紀一
ターミナルケアをうまく進めるためには、一般的在宅ケアに対するテクニックと緩和ケアに当たっての薬剤の知識があれば十分ですが、みのりあるものとするためには、医師をはじめとした医療スタッフの適切なリードが大切です。
がんなどの不治の病を告げられるということは、病人やその家族にとって始めての体験です。これからどうなるのか、どうしたら良いのか大変不安のはずです。緩和ケアの方法や患者さんのケアの方針について説明し、よく話し合い不安を少しでも解消するのがまず第一歩です。よくお話をしてその不安をとり除くようにします。さらに、実際のケアを進めながら、患者さんを中心に関係する人達がお互いに理解を深めてゆき、死を直前にした時には患者さんの心境を共感できるところまですすめられるよう努力します。
ターミナルケアがうまくゆきますと、患者さんに安らかに逝っていただくことができるとともに、介護にあたった家族や医療スタッフも、深い感銘を受け、達成感、満足感を感じることができます。
足柄上地区のターミナルケアの現状
私の属する足柄上医師会は会員77名で神奈川県西部の一市五町人口11万の地域をカバーしています。この地域では以前より在宅医療が良く行われ、基幹病院の県立足柄上病院も在宅医療患者を良く対応してくれています。また、ホスピスケアからみると、在宅医療、訪問看護ステーションなどでよく対応しているし、地域内にピースハウスという本格的なホスピスもある。また、県立病院でこの6月より緩和ケア病棟を開設するということで、患者にとってはあらゆる選択肢があるという恵まれた環境にあると思われます。
奥津医院のターミナルケア
常時20〜30名の在宅ケア患者さんを診療していますが、ターミナルケアと考えられる患者さんは1〜2名です。
在宅医療が制度化された平成4年よりの当院のターミナルケア終了者の統計では、
ターミナルケア実施患者総数 91(平成4年4月〜平成13年3月末)
悪性腫瘍によるもの 19
老衰、脳卒中その他 72
大部分(3/4)は脳卒中や老衰で在宅医療を続けていてターミナルに至るものです。その他の約1/4が悪性腫瘍の患者さんで、ほとんどが病院から退院すると同時にターミナルケアに入ります。このグループの在宅ターミナルケア(ホスピスケア)に特別な意義を感じています。
ケースを重ねるうちに、ある程度のスタイルができてきましたので、それをご紹介して、皆様よりのご意見を頂きたいと思います。
ターミナルケアをデサインする
私は自分の医院で進行がんを発見した時には、発見した時点で、ターミナルケアを含めた診療方針を決めるようになってきました。
これまでは進行がんで根治手術はむずかしいと思いながらも、患者さんを特に注文つけずに病院に送ってきました。病院では根治療手術に近い手術をやって、抗がん剤の投与を受けて、帰って来ることが多かった。そういう人は手術後すぐに具合が悪くなってしまい、1年位のうちにほとんどの方が亡くなってしまいました。
病気を診断して患者さんを病院に送り、そこでいろいろやったがうまくゆかずに帰って来る、それからターミナルケアに入る、という従来のやり方では、その間に患者さんに医療不信を植え付けてしまい、ターミナルケアがやりにくくなります。
進行がんの患者さんでも、できるだけ侵襲の少ないバイパス手術などで、腸閉塞は避けるなど最低の条件を確保して、抗がん剤を使わないという方法をとると、術後3ヶ月〜6ヶ月位は調子の良い状態を保つことができることが多く、その後、緩和ケアに移行しても、良い状態がしばらくあったということが緩和ケアをスムーズに運びます。
治療方針を決める際に、ターミナルケアまでを頭に入れておくことが大切なのです。
みのりあるターミナルケアを行うためには、医師がその成果を信じて、患者さんと家族に合ったターミナルケアをデサインして、患者さんを含めた関係者をうまく導いていかなければなりません。その気になって何回かやってみますと、自然に会得できる程度の技術ですが、医師がその成果を知っていることがポイントになります。
在宅ターミナルケアの実際
(1)オリエンテーション
在宅でのターミナルケアは、自宅という患者にとって最も居心地の良い場所で、家族、知人に囲まれながら、看とりを行うことで、本人が快適に過ごせるということを主な目的としています。われわれケアチームは、そのサポートを充分に行う用意のあることを患者と家族に良く説明します。患者さんが急死したり、朝起きたら亡くなっていたなどということが起こっても、それは、むしろケアがうまく行ったことになるのだということも話し、家族が不安なく介護できる状態を作りだすようにします。
悪性腫瘍の患者の場合は、病名の告知がしてあることが大切で、告知されてないと最後まで嘘をついてゆくことになり、患者と周囲との真心の交流は起こらず、在宅でターミナルケアを行った意義がほとんどが失われてしまいます。
(2)ターミナルケアの実施
一般の在宅ケアと変わりなく、医師、看護婦(医院)訪問看護婦(訪問看護ステーション)、保健婦、ヘルパーが一人の患者毎のチームとなり、家族と共にケアにあたります。医師の往診は1回/週程度で、疼痛緩和、補液、種々のカテーテル管理、褥創の予防、処置などが主な仕事となります。疼痛緩和としてはボルタレン坐薬、MSコンチン、アンペック坐薬をおもに使っています。
患者さんのターミナルケアを在宅で、皆が協力して行うことは、患者さんとって喜ばしいことですが、介護や医療にあたる者も、そこから大きな収穫を得られることを、皆によく話しておきます。
(3)臨終時
臨終が近くなると日に数回往診することも出てきます。臨終時には医師、看護師が立ち会います。その後家族、親戚に経過を説明し、家族の労をねぎらうことも大切です。
また、死後の処置などの役割分担もはっきりさせておくことも必要です。
症例
(1)82才女性 大腸がん
平成8年12月 腹痛を訴え当院受診。注腸レントゲン検査で上行結腸がん。
近くの総合病院にてすぐ手術。進行がんだったが、遠隔転移はなかった。高齢の上、小柄な人なので病院の主治医や家族と相談して、抗がん剤を使わずに経過をみることにした。
平成9年9月 6ケ月は良好に経過したが、左胸部痛を訴え、胸部レントゲン検査で、左右の両肺への転移であることが確認された。がんの告知は手術前にしてあったので、本人をまじえ家族と良く相談した結果、今後は緩和ケアのみで在宅ケアを行うと方針を決めた。疼痛は鎮痛剤、麻薬などでコントロールすることができた。
それから約1年間、Tさんは家族の介護のもとに多くの友人、親戚に囲まれおだやかな日々を過ごした。
臨終が近くなった頃には、患者さんと家族と私達の間で深い心の交流を交わすことができた。 手術後1年8ヶ月、割合良好な状態を保つことができたが、期間が長かったので、精神的な面でのケアが難しかった。
(2)68才男性 直腸がん
平成10年8月 「直腸がんで肝転移と診断されたのでターミナルケアをしてくれ、むだなことは何もしたくない」と言って来院。聴いてみると肛門出血で病院に行き、がんと診断されたということだった。何もせず1ケ月たつうちに、排便が困難になってきた。
9月末 人工肛門造設、ターミナルケア開始。
11月末 家族の負担が重く、本人も苦しむ姿を見せたくない様子で、ホスピスへ入院
12月 感動的な手紙を残して死亡。
(3)43才女性 膵臓がん
平成7年7月 かぜ様症状で来院、背部痛も訴える、超音波検査にて膵臓がん。
7月末 バイパス手術。 11月疼痛緩和ケア開始。 12月食べられないことを強く気にするためI.V.H.開始。
平成8年3月周囲の者にいろいろなメッセージを残し。希望した教会の建設の音を聴きながら亡くなった。幼い子供に大きくなったら読むように手紙を残していた。
(4)74才女性 大腸がん
平成8年4月 下腹部の痛みと膨満感で来院。注腸レントゲン検査にてS字状結腸がん
4月末 人工肛門造設のみの手術。
9月食欲不振、倦怠感強くなり点滴開始。
10月皆にあいさつを残したあと、大勢の孫たちがつぎつぎに呼びかけるなかに息を引き取った。
(5)83才男性 前立腺がん
平成1年 大学病院にて前立腺がんと診断され、ホルモン療法を始めたが、うつ状態になり、十分治療できなかった。その後2〜3の病院にときどき受診していた。
平成8年4月 近くの病院にてリンパ節、骨盤に多数の転移を診断され、在宅ケアを希望して当院に紹介される。8月より疼痛寛和ケア開始。10月一時ホスピス入院。
12月次第に衰弱し、12月21日死亡。大寺の住職でお寺で在宅ケアを行った。また亡くなる3日前まで揮毫していた。
(6)77才男性 喉頭部がん
平成11年3月 嗄声、咽頭喉頭部違和感あり、病院にて甲状腺、気管、食道を巻き込んだがんと診断される。食物が気管に入り、窒息状態になったので、I.V.H.を入れて退院。
6月より当院にて在宅ケア開始、同時に訪問看護ステーションより訪問看護を受ける。
これまでの日課を淡々とはこんでいた。
12月10日頃より心身の不調を訴える。
平成12年1月20日 子供、孫達を集め、「良い一生が送れた。協力して家を守ってくれ」と言い残して息を引き取った。
(7)90才男性 胃がん
平成11年7月 食欲不振にて病院を受診、胃がん末期と診断される。在宅ケアを希望して、当院に依頼される。ほぼ輸液のみで対応。
8月31日死亡。高齢で老人性痴呆もあったが、以前より主たる介護者の妻を殴ることが多く。ターミナルケアに入ってからも、気に入らないと殴っていたらしい。こういう状態では在宅ターミナルケアをやっても本人のためにしかならない。
(8)52才女性 乳がん
平成8年右乳房の腫瘤に気付くも民間療法で過ごす。病院を受診したときには、がんは大きくなり、対側の皮膚、腋下リンパ腺その他に拡がり手術できない状態だった。
平成10年 他院に移り化学療法を受けたが効果無かった。
平成11年3月 当院および訪問看護ステーションにて在宅ケア開始。胸部は全体に潰瘍化し全く悲惨な状態だった。慰める術もない感じだった。訴えに耳を傾け、疼痛寛和に力を注いだ。訪問看護婦は隔日に胸部全体の潰瘍の処置という大変な仕事をしていた。家庭の介護力がないため、6月に入院となった。その後10月4日ホスピスにて死亡。
このケースはあまりにも悲惨で、本人を勇気づけることもできなかった。
在宅ターミナルケアの意義
患者さんにとって自分のなれ親しんだ環境の中でターミナルを迎えることは、だれもが望んでいることで、睡眠、食事など気ままにできることも大きな恵みとなります。
家族や友人と濃厚なコミュニケーションがとれることが重要な意味を持っています、死にゆく人々にとって孤独が最も恐ろしく、辛いことだといわれています。
病名の告知を受け、ターミナルケアに入ると、最初はとまどいが強く無気力状態となる者が多いいですが、次第に気持ちが落ち着いて、心が開かれて来ます。死期が迫ると更に研き澄まされた心境となって、周囲の者と心が通い合いすばらしい時間を持つことができることが多い。
在宅でターミナルケアを行うことは、家族にとって大変な負担となりますが、亡くなってゆく人と心が通じ合えたということと、できるだけのことをしてあげることができたということから、達成感や満足感が生まれます。医療スタッフも患者や家族と共に喜び、悲しみ、生死の問題を考えながらケアを行う間に、多くのことを学んでゆきます。 良いケースを積み重ねることによって、ターミナルケアをより質の高いものへと創りあげてゆくことができるようになります。
いろいろな人達の献身的援助を受けながらも、次第に衰弱し死期を悟った時、多くの人は精神的ステイタスを一段高め、その言動が周囲に深い感動を呼ぶようになります。このようなすばらしい成果をあげるためには少しの「嘘」も許されません。がんの告知や手術の結果など正確に告げられていることが必須のこととなります。
在宅ターミナルケアの提起するもの ―医療の新たなる分野の展開―
私たち医師は「患者の死」を病気に対する医療の敗北と考えて、患者がターミナルステージに入ったと感ずると、スタッフの診療意欲が急速に冷めてゆくことをしばしば経験してきました。こういうことからターミナルケアを医療の後始末的に考えている医療関係者も多いのが現状です。
ここ数年、ターミナルケアに本腰を入れて携わってみると、この中に大きな新しい医療の分野の存在することに気付きました。これまで医療は「生命を維持すること」をテーマに展開され発展してきましたが、医療技術の進歩にともない、病人のQUORITY OF LIFEが高められてきたか疑問を感じる面もでてきました。人はいつかは死ぬのであり、そこにいつまでも「生命を維持すること」をテーマにした医療をあてはめてゆくことには矛盾があります。
人が死んで行くことを正面から見据えた、「死を迎える」をテーマにした医療が必要なのです。人の死とは、QUORITY OF LIFEとは何か、真剣に考え、患者、家族、ケアチームが一体となって、ターミナルケアをうまく行うと、患者さんの精神は「悟り」のような境地に達し、それにともないお互いの心のなかに深く感じ合うものを得て、臨終を迎えることができます。このときの感動や経験は、医療の基本とは何かを感じさせます。
みのりあるターミナルケアを重ねることによって、医療の世界の幅を広げ、深みを増すことができると感じています。
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